感情ではなく「命」を開いていくのです。
初めまして。
女の子は女神していますか?
男の子はスーパーヒーローしていますか?
女神の知砂です。
今まではアメブロであれこれ書いてました。
よければお読みください。
【今日から私は「女神様♡』】
ふざけたタイトルのブログですが中身はそんなにふざけてません。
これからどうぞよろしくお願い致します。
さてさて。
命は誰もがいつ突然失ってもおかしくないのに、生きているといつまでも生きているような錯覚をする。
朝起きて「今日も命をありがとうございます」と感謝をして朝日に手を合わせる度に昇りゆく太陽の光の暖かみが胸に沁みます。
生きている。
命がこの体の中にある。
血が身体中を巡り、体温があり、筋肉が動き、
神経があり、誰もが五感を振動させながら生きている。
それはあの輝く太陽と同じほど実は輝かしいもの。
そもそも日本人は外国のような「個」の観念ではなく「個人は自分自身と社会のためにある」という個人的とも集団的とも言い難い独特の理念を持つ根っこがあります。
これは輸入されたスピリチュアルではなく、
日本古来からのゴーストリーをきちんと理解すれば自然とわかることのように思う。
太古の昔よりこの国はウシハク(主人=うし・履く=所有する)国ではないシラス(知らす・統らす)国であるということ。
これからの日本に、日本人に求められるのはスピリチュアルな観点からの世界観ではなく、
日本古来からある価値観と、その価値観そのものの根源にある大切な本質ではないか…と。
宗教ではない、真の信仰というもの。
スピリチュアルではなく日本のゴーストリー。
すべての存在に神を感じ、畏敬の念を持ち、敬いを忘れず、絶えず禊をし、与えられる恩恵に対し穢れを拭う生き方を差し出し祓われるという思い。
私たちの中には陰陽があり、真に光も闇も内にある。
どちらもあるからこそ、どちらもが成り立ち、一つになる。
その事を深く理解するまでとことん突き詰めていくと、言葉にできる「何か」に触れる。
いつのまにか「我」を追求するのではなく「命」を追求していることに氣付き「魂」が震え、
「目に見えぬ存在」というものに否が応でも触れる瞬間が現れる。
その時に生まれる内なる輝きは「我」によって発せられるものではなく、
内なる「神」が八百万の神と通じることによって発せられるのだと氣付く。
そして真に私たちは神様の「分け御霊」であると感じる。
そしていつも「知らしめて」くださっている存在と、ウシハク事で「囲む」存在の違いを知る。
スピリチュアルとゴーストリーとの違いから生じる違和感がそろそろ吹き出し始めているな…とこのところ感じる。
特に女性は本質的に感じ取るのが早い。
そして女の体は森羅万象そのもの。
女は感情だけではなく生命の進化をその身で育み、この世に生み出す仕組みを持ってるのだから感情ではなくその命を開かせていくところからいくといい。
それを体現していくことが成せる肉体を持つことの大切さを感じれば喜びに満ちる。
(*出産しなさいと言っているわけではありません)
女が満ちれば地球そのものを満たすエネルギーにもなるというとを改めて感じてみた時、
感情を開くだけではまだまだ小さな扉が開いたに過ぎないと氣が付く。
地球と同じくらいのエネルギーで宇宙そのものと、
また目に見えぬ存在、神とまぐわうくらいになり(内なる神、分け御霊)と一つになれば、
存在そのものが「我」ではなく無そのものになりすべてを生み出せる光にもなれるということに氣が付く。
感情だけではなく、命を開き、魂と繋がる。
そうなると自然に女性性男性性という小さな枠はなくなり統合されます。
命にも魂にも「性別」はないのだから。
性別があるのは「肉体」そのものです。
女は宇宙そのものや神とまぐわえるほどすべてを開いていける。
そしてそのすべてを開き目に見えぬ存在とまぐわえる女とまぐわった男が、そのエネルギーを得て開いていき、男性性女性性という枠はなくなり統合される。
そしてその2つが混ざり合い一つになる。
互いに響きあい、循環しあい、溢れ出す喜びに満ちた統合を体現する。
こんなことを感じたのは、私自身が先日そのような存在とまぐわうことがあり、
その言葉にできないエネルギーの循環に包まれた時に感じたからです。
この時に感じた光そのものになり闇そのものになり溶け合う感覚は、我が身を通して感じたこの世のものとは思えない素晴らしいものでした。
「ああ、神様が神産み国産みをなされた時、この様な素晴らしい感覚からお産みになったのだとしたらこの国は何とも有難い始まりとその恩恵を受け続けているのか」と。
まだ我が身に残るエネルギーの振動に動けずしばらくは呆然として、
もう、何が何だかわからないっていうより、もう何が何だかわかりすぎてわからないっていう感覚です。
命が開くってこんな感じなのかな、、、と。
細胞一つ一つが歓喜に打ち震えているような。
それを体感できる「生きる」ということは素晴らしいことでしかないなとも思う。
これは私だからそうなったのではなく命を開いていけば、女性の誰もが感じ、すべての存在と男性と融け合える融合であると思います。
女はとてもしなやかにその命を開き輝かせることができる女神そのものになる。
そんなことを体感して、言葉にするまでに時間がかかりました。
今日はこの辺で。
今日もあなたの笑顔と涙がとても綺麗な日でありますように。